ヨーロッパ商標よもやま話

はじめまして。弁理士の松井宏記と申します。大阪の「あい特許事務所」で商標意匠業務を担当しております。今回は、私が体験したヨーロッパ商標の世界について、ざっくばらんに紹介させていただこうと思います。
2008005_1.JPG私は、2006年4月から10月まで、イギリスの特許事務所「W. P. Thompson & Co.」に滞在し、ヨーロッパ商標意匠に関する実務研修を行いました。この事務所は、1873年創業(日本は明治初期!)の歴史ある事務所です。本部はイングランド北西部のリバプール(ビートルズやサッカーで有名ですね)にあります。現地事務所では、イギリス商標やCTM(Community Trade Mark)などの事件ファイルを見せていただいたり、各件について現地代理人と議論したり、イギリス特許庁で口頭審理を傍聴したり、現地事務所で日本語教室を開いたり(日本語は難しい!)などなど、様々な体験をしました。


ヨーロッパ商標制度
 ご存じの通り、ヨーロッパでは、First Council Directive of 21 December 1988 to approximate the laws of the Member states relating to trade marks (89/104/EEC)により、EU各国商標法が守るべきミニマムスタンダードが定められ、それに基づいてEU各国商標法は改正され現在に至っています。また、Council Regulation No. 40/94 of 20 December 1993 on the Community Trade Markでは、EU域内における一元的な権利取得を行う制度としてCTMが規定されています。これらDirective(指令)とRegulation(規則)の理解は、ヨーロッパ商標を理解する上で必須です。
CTMにおいてOHIM審判部の決定に不服の場合には、ルクセンブルグにあるCFI(The Court of First Instance:第一審裁判所)やECJ(The Court of Justice of the European Community:欧州司法裁判所)にその決定の取り消しを求めて上訴することができます。また、各国における商標権侵害訴訟においては、各国裁判所は、各国法のもとになっているDirectiveの条文中の解釈についてECJに意見を求めることができます。さらに、ECJには、法務官(Advocate General)なる者がいて、事件に関してECJに対して公平かつ独立の立場から理由を付した意見を述べます。ECJの判決はこの意見に拘束はされませんが、実質的な影響はあります。日本では考えにくいシステムですが、ヨーロッパ域内における商品などのスムーズな流通を確保するために、できる限り社会システムを単一化していこうというヨーロッパの気概をヒシヒシと感じます。
ヨーロッパの商標実務を理解する上で、OHIMの決定、CFI やECJの判決を知ることは重要です。ヨーロッパでの事件では、異議申立書などでの現地代理人の主張を読んでいると、米国と同様に、判決の引用がとても多いことに気付くと思います。また、口頭審理においても判例の引用の応酬となります。この引用判決を調べると日本の実務でも参考になる考え方が示されていることが多いです。ご担当の事件における引用事件の内容が知りたい方は、http://curia.europa.eu/en/transitpage.htmで検索できます。

CTMクーリングオフ
2008005_2.JPG CTMでは、先後願の類否判断を審査で判断することはなく、異議申立の審理において行います。そして、異議申立から審理進行の間に、「クーリングオフ」なる当事者間で話合いをさせて事案の解決を図る期間があります。このクーリングオフでの交渉は、CTMの醍醐味の一つです。代理人の腕の見せ所です。イギリス滞在中は、交渉事例を数多く見て議論しました。クーリングオフでは、強気で交渉に臨むかどうかは(そもそも交渉するかどうかも含めて)、商標同士や商品役務同士の類否判断を的確に行った上で決まります。ヨーロッパには、日本のように商品役務の「類似群」が無いので、自由な発想、緻密な分析が求められます(日本でも同一類似群内で非類似と取り扱われるケースが増えてきていますので同様になってきていると言えるでしょう)。また、「だめだ、ズバリの引例だ」と書誌情報では思える場合でも、実際のビジネスターゲット(顧客層、地域含めて)は全く違うから共存可能という場合もあるものです。じっくり分析&交渉しましょう。EUで異議がかかると連鎖的に同じ異議申立人からアジアなどで異議がかかることがあります。EUでの交渉に成功すれば世界的な共存同意書の締結に至ることも可能でしょう。また、CTMではとても大きな概念で指定商品を記載できますが、その裏返しとして、そのような出願は無用な異議申立を招く可能性があることを認識しておくべきかとも思います。

情報源
 ヨーロッパの商標については、なかなか書籍がありません。また、タイムリーな情報を手軽に得るのも難しいと思います。そこで、私が個人的にお勧めする書籍などを紹介させていただきます(全て英語です)。

CTMを勉強したい方には、私は下記書籍をお薦めします。分かり易く、かゆいところに手が届きます(値段も立派です)。
Community Trade Mark Handbook
  Institute of Trade Mark Attorneys, Chartered Institute of Patent Attorneys (C.I.P.A.)
  ISBN: 9780421751507
  Publisher: Sweet & Maxwell

イギリス商標法を含めたヨーロッパ商標・地理的表示・原産地表示(ヨーロッパでは農産物や食料品の地理的表示(GI)および原産地表示(PDO)についてRegulation 2081/92 on the protection of Geographical Indications and Designations of Origin for Agricultural Products and Foodstuffsがあり、厚く保護されています)については、下記書籍がよいでしょう。
Kerly's Law of Trade Marks and Trade Names
  David Kitchin, David Llewelyn, James Mellor, Richard Meade, Tom Moody-Stuart,
  David Keeling, Robin Jacob
  ISBN: 9780421860803
  Publisher: Sweet & Maxwell

最新情報を手軽に入手するには、OHIMが発行しているAlicante NEWSを購読するとよいでしょう。ご自身のemailアドレスを登録しておけば毎月配信されます。CD(Community Design)の記事もあります。毎月送られてくる英語教材のようで、かつ、テーマがヨーロッパ商標意匠ですので一石二鳥です。

ECTA
 商標実務家が集まる国際的な会合としては、日本ではINTA(International Trademark Association)が有名です。私もINTAのAnnual meetingにはよく参加します。常日頃からお世話になっている世界中の現地代理人にまとめてお会いして意見交換できますので非常に有益です。しかし、INTA Annual meetingには7,000~8,000人くらいの商標関係者が世界中から参加しますので、人が多くレセプションも多いので、一度会った人に二度と会えないことも多々あります。この点、ヨーロッパには、ECTA(European Communities Trademark Association)があります。私は、ポーランドのワルシャワで開催された2006年ECTA Annual Meetingに参加しました。500人程度の参加者で、参加者は一カ所に集まってセミナーを受けたり懇親したりします。ECTAは、Annual Meetingの開催中には、事務所や会社主催のレセプションを周辺地区で開催することを禁止しているようですので、同じ人に会期中何度も会います。じっくりとMeetingに参加することができます。なお、日本からの参加者は、私が参加した時で5名前後であったと思います(お会いした皆様その節は大変お世話になりました)。その他ヨーロッパで開催される国際的な会合はいくつかありますが、ヨーロッパ商標に興味がある方であれば、ECTA Annual Meetingはお勧めです。生のヨーロッパ商標界を感じることができると思います。

最後に
 以上、ヨーロッパ商標の世界を少しですが思いつくまま記しました。ヨーロッパには長い歴史があり、各国の特色もいろいろです。入り組んだ歴史や国の関係・文化を理解すると、ヨーロッパの代理人と話すのも楽しくなり、お国柄、お人柄が分かってきます。日本の商標でも、日本の文化や生活習慣が理解できて初めて類否が分かる、識別力の有無が分かるということがあると思います。ヨーロッパに限らず、その国の文化や生活習慣をできる限り理解した上で業務に取り組む。これが、商標の面白さであると思います。

◆おまけ◆ 日本の商標登録第1号は、1884年10月1日出願の「膏薬・丸薬」に関する図形商標です。一方、イギリスの商標登録第1号は・・、ビールのラベルに関する商標です(1876年1月1日出願)!しかも権利存続中です(2008年10月20日現在)。さすがはパブの国ですね!ご興味のある方は、次のサイトで登録番号「1」を入力してサーチ!http://www.ipo.gov.uk/tm/t-find/t-find-number.htm

2008年11月4日
弁理士 松井 宏記

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※コラム中の写真は、松井先生がヨーロッパ滞在中にご自身で撮影されたものです。